なぜ?親友の「つまらん」ブログをときおり読み返したくなるのか

随想
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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フランチェスコと小鳥

フランチェスコと小鳥

話は、1980年代にさかのぼる

十代のころ、わりと気のあう友だちがいた。友は、頭の回転が速く、優しい男であった。交わしていた会話とは、太宰治の生涯、レベッカバンド結成のためのメンバーあつめ、アマチュア無線など、たわいもないことばかりだった。われわれはそれぞれ、東北の地方都市にある高校に通っていていたのだけど、大学受験をうまいこと利用して、この田舎町から抜けだそうと励まし合っていた。

高校を卒業して、ともに浪人を経て、友は地元の旧帝大に、わたしは一流とも二流とも三流ともつかない、東京の私大に進学した。時間の流れは無常なもので、仲のよかった友だちとも、二十代を過ぎると疎遠になってゆき、しまいには没交渉となっていた。

そして、2000年代を迎えた

三十代になっていたわたしは、ある日、友からのメールを受信した。思いがけないメールをひもとき、驚いた。なんと同じ街に住んでいるというのだ。嬉しくなり、ひさしぶりに連絡をとり、近況を報告しあった。友は、大学の学部から院へとすすみ、誰もが憧れる超巨大組織に技術者として就職。そして、腕ひとつで人生をきりひらくため退職し、ちょうどフリーランスになったばかりだと語った。

ほどなく、かれが書いているブログの存在も知った。文章で映しだされる筆者の男は、かつてわたしが知っていた友だちのイメージとは違っていた。理系畑で鍛えられた友のブログは、技術系の関心が書かれており、文系出身のわたしには悲しくもいまいち面白さが理解できなかった。

それでも、古い友だちを懐かしく思い、ときおりブログを訪問したくなる。ブログの訪問は、家への訪問とは違い、アポイントも不要だし、ノックもしない。道すがら、窓越しに、健在ぶりをたしかめるようなものだ。近からず遠からずの距離も大切なので、ブログ訪問はなかなか良いものである。

かくして、2016年になった

不惑とされる四十代になった。友もわたしも、十代のころとはずいぶん変わってしまったことだろう。いまでは信じられないことだけど、高校時代のわたしはアマチュア無線に熱中するラガーマンでもあったのだし。もし、わたしが変わらない面があるとしれば、14歳のときにはじめて知ったブライアンイーノの音楽を、あいもかわらず、毎日まいにち聴いていることぐらいだ。

われわれは、どんなじじいになっていくのだろう?

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