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名取市閖上の記憶 閖上街道から日和山に向かい、父の職場にお弁当を届けていた日

随想
モクソン ホウ

法政大学文学部哲学科卒。編集関係の業務に従事。金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味は絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。

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 2011年7月16日、故郷へ帰りました。名取市閖上には「日和山」と呼ばれる小高い丘があります。

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 日本の海岸には、このような「日和山」があり、船乗りたちが日和(天候)を見ていたそうです。

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 津波がくる前は、見晴らしの悪い住宅地のなかにあり、何のための丘なのか分かりませんでした。いまでは、この丘から確かに海が見えます。

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 この丘の向かいに、父の現役時代に勤めていた仙台市交通局閖上営業所がありました。幼い頃、父にお弁当を届けに行ったなじみ深い地です。日和山には、賽銭箱がないために無造作に置かれた小銭がありました。

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 仙台平野にある港町の閖上には、高い場所がありません。津波はこの小高い丘すらも乗り越えてしまったようです。 驚くべき光景は、いま閖上で一番高い場所は、がれきの山なのです。

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 津波の恐怖味わった多くの住民は、この地から去ってしまうかもしれません。

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 日本政府は「復興」を唱えています。しかし、むしろ傷ついた人々をいたわり、より安全な場所へ避難することも必要なのではないかと感じます。 かつての港町・閖上は、同じ姿ではありません。新しい閖上は、まったく新しい姿で生まれ変わることでしょう。

 東京で生活している私は、牧歌的な光景が記憶がリセットされてしまうことを恐れていました。しかし、記憶はリセットされませんでした。目の前に広がるいまの閖上は、かつての閖上の光景と、あまりにもかけ離れてしまっていたからです。

 悲しい出来事にあった人たちは、がんばらなくて大丈夫、安全な場所へ逃げても大丈夫と言いたくなります。

 がんばらなくちゃいけないのは、政治や行政にかかわる人たちの方なのかもしれません。

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