鉢植えが嫌い。その理由を聞いてみた

人生(LIFE)
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

木村 邦彦をフォローする
クワズイモの上のヤモリ

クワズイモの上のヤモリ(絵は筆者)

趣味は室内で観葉植物を育ててめでることです。クワズイモ、ガジュマル、パキラを育てています。アロエにまつわる話でも書きましたが、一方で、妻は鉢植えが嫌いです。理由を聞きました。

  1. 土が舞って床が汚れる
  2. よくみると葉っぱが汚い
  3. 掃除の邪魔

さらには、心の傷となった出来事も話してくれました。最近の事件で、しかも犯人は私でした。

妻が部屋の掃除をしていると、クワズイモを植えた大きな鉢にぶつかり、鉢植えを倒してしまいました。ぶつけた足を痛がっていると、それを見た私は妻ではなく、クワズイモの方に駆け寄ったそうです。これを聞き、なるほどこれはいかんと反省しました。

高校時代に漢文で習った論語の一節が頭に浮かびました。

[書き下し文]厩(うまや)焚けたり(やけたり)、子、朝(ちょう)より退きて曰く、人を傷なえり(そこなえり)やと。馬を問わずと。

出典:『論語 郷党篇』の書き下し文と現代語訳:2

孔子の馬小屋が火事になりました。当時、馬は重要な武器であり、高価な財産です。孔子は急いで仕事から帰りました。孔子が心配していたのは、馬のことではなく、人の安否だったという逸話です。

論語と言えば、古くさい説教集だと思っていました。どっこいそんなことはなく、女心を理解するヒントもあることに気づきました。

タイトルとURLをコピーしました