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99円でデカルト『方法序説』。電子書籍(Kindle)で哲学書に親しむ

学びと読書
モクソン ホウ

法政大学文学部哲学科卒。編集関係の業務に従事。金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味は絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。

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哲学ってのは、西洋哲学のことを意味します。たとえば「東洋哲学」の意味するところは「西洋哲学じゃないもの」という欧米人の立場から見た言葉です。孔子もブッダも親鸞も、哲学しているつもりはなかったでしょう。哲学という言葉すら、日本には最近まで存在しませんでした(最近ってのは、明治時代のことなんだけど)。なもので、哲学なるものは、わりと明確な領域なのです。

哲学は「哲学する」と動詞にもなる、不思議な学問です。この考えることが道具の遊びに参加するためには、西洋哲学の重鎮ルネ・デカルトの『方法序説』を読めば、近代をめぐる議論に参加できます。とはいえ、私はこの薄い本を、最後まで読み通したことがありませんでした。だって、紙の本はページをめくるの面倒くさいんだもん。しかし、電子書籍の時代がはじまってから、私はめきめき本を読めるようになりました。

私は飛蚊症なので、目を動かすよりも、ページや文字の方が動くのがとてもありがたい。いまの時代は、とても自分にあっていると思います。

本を読むことは、必ずしも哲学することとは限りません。必要な道具は考えること。現に、ソクラテスさんはおしゃべりばかりしていて、本すら書いてない。でも、ソクラテスさんも、デカルトさんも、パスカルさんも、フーコーさんも、もうこの世にはいらっしゃいません。彼らの口からお話を聞いて、考えることはできない。ダイレクトにお話を聴くには、本を読むしかありません(ソクラテスさんの場合は弟子が書いた本を通じて)。そう、ぼくは読みたいのではない、彼らの話を聴きたいのだ。哲学談義は、結構面白い。死とは、人生とは、時間とはといった具合に、根本的なところを語るわけですから。

本書は、なんと99円! 訳者が表紙に書かれていなかったので、きっと著作切れた、旧漢字の古い訳なのだろうと思ったら、あら不思議に読みやすい。その理由と、本書の成り立ちを巻末「訳者によるあとがき的な記述(まだ書きかけ」で分かった。訳者はざっくばらんに次ように書いている。

“無能な訳者がやった直接訳より、有能な訳者二人による重訳のほうが、当然ながら優れている。それに、ほかの「方法序説」の訳を見てみたけれど、そんなにちがってるところはないし、記述の上でも疑問点はあんましない。 (P.142 閲覧日2016年11月2日)

カントやへーグルのような哲学書を読むのは、かったるい。読者を飽きさせない配慮が、彼らには欠けている。ユーザーファーストじゃないのだ。だけどデカルトの『方法序説』は、読者に寄り添う。執筆された1637年当時も、ラテン語ではなく、誰でも読めるようにフランス語で書かれたことが語りぐさになっている。戦争のために従軍していた際に哲学な着想を得た逸話なども書かれている。そして、あの歴的な名言にたどり着くのでした。そう、あれです。

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