なぜ人は「つまらなそう」に「つならない」と言いいながら「つまらないこと」を続けるのか?

人生(LIFE)
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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2014-01-14-00.18.04

イラスト・撮影 /筆者

人生、40歳代から大いに楽しい。基本的に、毎日楽しい。人生を振り返れば、悲惨なことも人並みにあった気もするけれど、総じて見れば概ね楽しい。

「つまらなそう」に「つならない」と言いいながら続ける「つまらない」こともある。つまらないことでも、続けていれば、“もしかすると良いことが待っているかもしれない”と思うこともある。しかし、その淡い希望には根拠がない。経験上の話になるが、「つならない」と言って続けるものごとは、文字どおり、自分にとって価値のない「つまらない」ことだった。

世間が「つまらないもの」とか言うものでも、はっきりと楽しさがあって、ゴールに向かって進んでいる実感があるなら、それは喜ばしいことなのだ。そこには全力をあげて、取り組むべきだと思う。

最悪なのは「つまらなそう」に「つならない」と言いいながら続ける「つまらないこと」に、貴重な人生をかけることだ。価値を見いだせないのに続けてしまう理由は、あんがい謙虚さだったり、人の良さだったり、もしくは自己評価が低すぎることも原因かもしれない。謙虚さは、美徳であるかもしれないけれど、貴重な人生はあっという間に過ぎ去ってしまう。それは危険ではないだろうか。

「つまらないこと」を「つまらなそう」に「つならない」と言いいながら続けるべきではない。なんだかんだで、面白味を発見できることを、人生の仕事として見つけるべきだと思う。

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