尹平重氏〈「官製民族主義」が韓国を滅ぼす〉から感じたアルチュセールの影響

学びと読書
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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尹平重(ユン・ピョンジュン)韓神大教授(政治哲学)が朝鮮日報に寄せたコラムはかっこよかった。

3月31日に韓国のムン・ジェイン(文在寅)政権が進める民族主義の成り立ちを分析している。尹氏は韓国の民族と民族主義が歴史的に作られた構成物と指摘する。

民族と民族主義が歴史的に作られた構成物であるという事実は、韓国の歴史でも確認できる……(中略)。危機の瞬間に民族は「発明」され、民族主義は「呼び出し」を受ける。近代国家において国史も国語も義務教育科目であり、学校は代表的な「イデオロギー的国家機構」だ。そして、民族と民族主義こそ国民を作ったり国を立て起こしたりすることの核心だからだ。

出典:【寄稿】「官製民族主義」が韓国を滅ぼす-Chosun online 朝鮮日報]、(閲覧日:2019年4月1日)

フランス現代思想のルイ・アルチュセールもかつて「抑圧装置」と「イデオロギー装置」を区別して語っていた。

抑圧装置は政府、警察、監獄……といった公的なもの。一方、イデオロギー装置は家族、教会制度、学校、新聞、文学、スポーツ、家族など私的な領域のもの。軍隊や警察といった圧倒的な抑圧装置だけでなく、私的な領域に染み込むイデオロギー装置によってわれわれは国民としてやんわり束ねられているものだ。たとえばスポーツもそうだ。五輪やワールドカップでは、私は無意識に日本を応援している。

韓国だけの話ではない。日本でも同じだ。アメリカだってそうだし、ロシアだってそうだろう。国家があるところにイデオロギー装置が存在する。イデオロギー装置がない国家は国家の体をなしていないだろう。学校も新聞社もスポーツイベントもない近代国家を私たちは想像できるだろうか。

日本の学校では卒業式に君が代を斉唱し、パスポートには菊の文様がある。話題の元号も、特定の限定された場所と人々だけで時間が共有され、「日本人」という仲間意識を生み出すことに一役かっている。

これらをけしからんといって消し去ればいいわけではない。そこは権力争奪戦の主戦場であり、闘争の最前線がある。日本の元号も権力の象徴だからこそ、南北朝時代には2つあった。世の中を変えたいなら、元号や学校をなくすのではなく、イデオロギー装置自体を奪って動き変えてしまえというのが(私が考えるところの)アルチュセールの思想なのである。韓国にとっても同じ戦略が求められることだろう。すなわちムン・ジェイン政権が進める官製民族主義ではないルールに作り直してしまうことだろう。

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