母の日に鉢植えのカーネーションを選んだ理由

人生(LIFE)
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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カーネーション(Illustration by kimukuni)

「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」

キリスト教さんのところのジーザスさんは、気前のよさを諭していらっしゃるようです。でも、高齢の親への贈り物選びでは、あてはまらないと思いました。

数年前にわが家で「うなぎのかば焼き事件」というものが起こりました。70歳の古希を過ぎた実父に、極上の品を贈ったのです。実家は300キロも離れた場所にあります。届ましたら、さっそくお礼の電話がきました。ところが、彼は食べずに人へあげたと言うではありませんか。糖尿病だったからです。

ほかにも「梨事件」というものがあります。義父に、大人の手のひらほどの梨を数個贈りました。ところが、あまりにも大きすぎて、食べきれなかったそうです。

脂が乗ったうなぎ、大きい梨。食い盛りの中年男子の私(そして妻も)なら、この上ない贈り物です。しかし、「うれしいこと」が、すべての人にとってのうれしいことではありません。

2018年5月13日は母の日、6月17日は父の日です。直近の「母の日」は、実母と義母に鉢植えのカーネーションを贈ることにしました。母の日にカーネーション! ああ、なんてひねりがない贈り物なのでしょう。でも、これまでの失敗体験に鑑みて決めました。

ものぐさな家風です。実母は花瓶を持っていないかもしれません。だから鉢植えです。先日は、小鳥を飼おうとして失敗したと言っていました(何を失敗したのかは忘れましたが)。カーネーションなら枯らしても、ペットロスにおちいることはないでしょう。

私は20代の頃に、ぜんそくで2週間ほど入院したことがあります。見舞いの品で感心したのは花でした。生命の象徴のように感じました。またしても、「うれしいこと」の話に戻ってしまいました。

今回の贈り物は喜んでもらえるとよいのですが。

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