【森鴎外『寒山拾得』】まるで『ゴドーを待ちながら』のような世界だった

レビュー
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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森鴎外『寒山拾得』は、まるで『ゴドーを待ちながら』のような世界だった

森鴎外の『寒山拾得』は、中国・唐代の伝説の詩人が題名になっている短編小説です。この二人の名言を読めるのかな、と思いきや、まるでないのでびっくりです。

話は、官吏の頭痛を、ふらりとやって来た乞食坊主が治すところからはじまります。悩まされていた頭痛がぴたりと治り、官吏はすっかり感心します。もっとすごい名僧に会ってみたい思いました。乞食坊主に聞くと、遠方のある寺に寒山と拾得というありがたい僧がいるという。官吏は、期待に胸ふくらませ、会いに行こうと思いました。こうして、長旅の末、思いを馳せながら、二人がいる寺にたどり着きます。そして、やっと対面します。しかし、寒山と拾得は何も話さず、ただ笑って走り去ってしまいました。ここで、話はおしまいです。こんな終わり方は、拍子抜けですよね。

話題の中心人物がなかなか登場せず、セリフすらないことでは、サミュエルベケットの戯曲『ゴドーを待ちながら』に通じます。違っているのは、会えるには会えたことです。しかし、ありがたいお話が聞けたわけでもありません。

そこで思ったのですが、私なども、どこか遠くに、素晴らしいものがあると考えているフシがあります。どこか遠くに、ありがたい「先生」との出会いが待っていると思っているフシもあります。難関をくぐりぬければ、そこには素晴らしいことがあるはずだ、とか。しかし、そんなドラマが待っていることは稀です。この小説に感じた拍子抜けは、リアルです。人生は、ドラマチックでもなく、拍子抜けの連続であり、それでも、少しずつ経験と知恵を重ねて人は変わってゆきます。

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