バイラルメディアで考えるプラトンの「洞窟のたとえ」

レビュー
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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Why do some people go out of their way to help others?

若い男が枯れかけた鉢植えを見つけ、水漏れをしている軒下に移動させる。画像:YouTubeより

ギリシャ哲学者プラトンは、私たちの生きる姿を「洞窟のたとえ」で表現しました。私たちは、暗い洞窟のなかにいて、むりやり壁を観るように固定されている囚人です。私たちの背後では、たいまつが灯され、その明かりで、美しい影絵が壁に映し出されています。私たちは、その美しい世界を真実だと信じています。

プラトン, 洞窟の例え

洞窟の奥の壁に、人形劇のような影絵の世界が美しく映し出される

ときに、テレビや動画サイトの映像も、プラトンが言った「影絵」に似ています。ここでは、FacebookやYouTubeなどでよく見かける、いわゆる感動動画の「Why do some people go out of their way to help others?」をとりあげてみます。

動画のコメント欄を見ると、感動したという言葉が多くを占めます。しかし、水をさすようですが、共感できないシーンがいくつかあることを、ここでは告白しなくてはなりません。たとえば、水がじゃぶじゃぶと流れ出しているところに、鉢植えを置く冒頭のシーンもその一つです。

鉢植えに大量の水を与えすぎてはいけません。季節によって、数日おきにどれくらいという具合に決まっています。でなければ、彼は植物を根腐れさせ、枯らしてまうことになります。

植物が枯れるのは、水不足だけでありません。根詰まりを起こすので、適切な時季に新しい土、少し大きめの鉢に替える必要もあります。もしも、動画に登場する男性が、固くなった土に目をやり、植え替えをはじめたら、感心できたかもしれませんが。彼は植物の育て方を知りません。知らないこと自体に彼は気づいていません。これ以上の指摘は控えますが、善かれと思った過ちを、この動画では他にも発見できます。

この動画のメッセージは、次のような「善意」だと思います。「人々は、優しさや、慈悲に飢えている。だから、愚か者にみられようとも惜しみない慈悲を与えよう。そうすれば、あなたはお金では買えないような見返りを受け取るだろう」と。でも、このメッセージに同意したくても、ウソが盛り込まれているのはぬぐえない事実であり、どうしてもこのメッセージに酔いきれず、イヤな気分になってしまうのです。

ところで、プラトンの師匠ソクラテスは、美しい影絵ではなく、現実の世界がある洞窟の外に人々を連れ出そうとしました。しかし、不敬罪となり、ドクニンジンによって毒殺されます。同じようなプレッシャーは、現在を生きる私たちにも起きます。私にしたって、壁に向かっている一人の囚人に過ぎません。「感動した」「幸せになった」が連なるコメント欄に、「同じことをしてみれば、枯れてしまうことが分かる」なんて書いたりしないからです。でも、一人の囚人なりに、目の前に映し出されることがらが美しく見えるからといって、常に正しいわけでないということは、覚えておこうと思いました。

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