魅力的な狂気を描く若手の画家A先生。先生のこれまでの人生と、記憶に残る作品についてお話ししてみたいと思います。
画家A先生は魅力的な狂気を描く若手の画家。といっても、四十手前ですが。
先生は自身をピカソの画風に例えて自己紹介するのが常でした。たしかにデッサンは崩れているようで、子どもが描いた絵に似ています。この画風が絵画コレクターたちの投機心、射幸心をくすぐります。先生は画家ではめずらしく、副業を持たず、絵を描くことだけで生活することに成功しました。
先生の人生にはピカソとも違った面白さがあります。ピカソの芸術活動は子ども時代からの英才教育で始まりましたが、先生の場合は大人なってからはじまりました。超一流大学の法学部で弁護士をめざしていた先生は司法試験に挫折。気づけば精神科の病棟で入院していたそうです。
先生は病棟の森のような庭で「芸術家になりなさい」と告げる、神の声を聞いたそうです。このお告げにしたがって、まずは音楽家を目指しました。しかし、楽器も弾けず楽譜も読めません。次に志したのが画家なのだそうです。先生の奇妙なキャリアが始まります。
数々の公募展で入選を果たした先生の絵を見ると、狂気を描くことにかけては抜き出た才能をもっています。海外でも奇妙な絵を描く画家として、次第に認められてゆきました。ヨーロッパなどの有名美術館でも買われて、所蔵されてゆきます。こうした華々しいキャリアを持つ先生には面白い特徴があります。注ぎ、注がれるような愛を描けないのです。画家が何かを描けるかどうかは、画家の意思や努力とは関係がありません。このことはとても重要な事実です。
絵画が示す世界は、描いた画家の意思とは関係ありません。画家も自らが描きあげた絵を前にして、1人の鑑賞者に過ぎません。画家は、自分自身が描いた作品のことについて、なにひとつ知らないものなのです。
のっぺらぼうの絵
先生がこれまで描いた狂気で、とりわけ印象的に感じた作品をお話しします。彼の妻と息子を描いた絵です。妻子ともに顔がない、のっぺらぼうの恐ろしい絵でした。
先生は、この絵が示す意味は家族への愛と絆と説明しています。彼の説明と、絵自体によって示されている世界は、明らかに違っているようです。かわいくも美しくもなく、汚くて臭そうな絵でした。だから悪いとは限りません。その最たる優れた作家はズジスワフ・ベクシンスキーでしょう。
わたしたちが住む平凡な世界において、愛の贈り物は、美しくきれいでよい香りがするものだ、ということになっています。汚くて臭そうな「愛」の贈り物は、贈られた側にとって大きな戸惑いをもたらします。彼の家族も深く傷いたことでしょう。かくして、妻と子どもは彼の元から去ってゆきました。以来、先生は数々の女性の元をさすらう日々を送ることになります。
個展会場などで先生は「これまで「キモカワ」のかわいらしい絵を描いてきた」とプレゼンテーションしていました。先生は営業といいましょうか、アートマネジメントにかけても天才的でした。あれよあれとよいうまに、世界中のオークションに自身の作品を売り出します。私がこれまで彼の絵を鑑賞してきたところでは、一般的にきれいでかわいらしい絵など、彼は一度も描いたことがありません。先生が描いてきたのは、まぎれもなく彼が住む、狂気と不幸の世界です。その不吉な世界は、誰にもまねができないものでした。それゆえに、先生は紛れもない芸術家だったのです。
アートの営業にはハプニングだったり、ゴシップだったり、スキャンダルだったりが有益です。先生の狂った世界は、ホラー映画のようなエンターテインメントとしての商品価値も付随しています。このことに本人が気づいているかどうかは不明ですが。
芸術家もサラリーマンも、職業として変わりはありません。サラリーマンは見せかけの「正常さ」を売って生活していますが、芸術家は「抜けがたい狂気」を売り物にしています。いわば、見せ物小屋の見せ物みたいなもの。どちらも、生と仕事に対する真剣さが求められます。先生は真剣に狂っているゆえに、唯一無二な作品を作り出すまぎれもない職業人なのです。