『阿賀に生きる』を生きる、泪橋ホール上映会 & トークイベント

レビュー
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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冬の阿賀野川(イメージ画像)

私が学生だった1992年のこと、映画『阿賀に生きる』上映会の案内チラシを学友たちに配っていたクラスメートがいました。彼は「これ、おれの親父が関わった、出来たばかりの映画なんだ」と嬉しそうに説明してくれました。

こんなことを思い出したのは、恐れ多くもお友達であるところの思想史・芸術倫理学分野の研究者・今村純子先生が上映会 & トークイベント「ドキュメンタリーという詩のかたち――『阿賀に生きる』を生きる」を泪橋ホール(東京都台東区)ですると知らされたからでした。期間は8月16(金)〜21日(水)まで。旗野秀人監督作品も一挙上映する企画のようです。

1973〜2004年にかけて、法政大学の市ヶ谷キャンパス(東京都千代田区)には香港の今は無き九龍城のような雰囲気の地上8階地下2階の建築物群がありました。コンクリート打ちっぱなしで、壁にはゲバ文字で古風な左翼的スローガンがでかでかと掲げられ、マイナスオーラが半端ではありません。そこは当時、東洋一大きいと言われたサークル棟とホール棟からなる「学生会館」でした。

入学して早々、「モクソン、あそこにただで飯を食わせてくれるサークルがある!」と甘い言葉を掛けてきたクラスメートがいました。手ぎわの良い事務処理能力と、情け容赦のない大食いっぷりから「ダイナミック・ダイクマ君」という豪快なあだ名を持つ男でした。

運気が悪そうな学生会館には行きたくはなかったのですが、なにせお金がなく腹を空かせていた私はダイクマ君のあとをついていくことにしたのです。

建物の中は薄暗くて長い廊下があり、その壁にはたくさんの落書きや、貼られたビラ等がありました。ビラは上からどんどん貼られていくので何層にもなっていて、まるで張り子のようです。目的のサークル室の前に来ると、そこは世論の動向を調査をするサークルのようでした。真っ黒で重い鉄の扉を開くと、陰気な雰囲気はうってかわり、鍋を囲んで酒を酌み交わす陽気な学生たちがいて、音楽・文学・政治経済等の議論を交わしています。よく見れば掃きだめに鶴のような美しい女子学生も数羽混じっていたりして、私は小おどりして鍋をつっつく仲間に入り、以来、無為に時を過ごすようになったのでした。

ダイクマ君とは同じサークルの仲間になりました。彼は時々サークル室等で『阿賀に生きる』(佐藤真監督)と書かれたチラシを友だちに配っていました。「これ、おれの親父が関わった映画なんだ」と自慢して言うのでした。彼のお父君は新潟大学の先生をしており、「新潟水俣病」を巡る出来事を描いた映画作りに取り組んでいると話してくれました。

私とダイクマ君は、互いの下宿を行き来する仲でしたが、卒業後は会っていません。いまでもダイクマ君の情け容赦のない大食いっぷりを思い出すと、懐かしい気持ちになります。映画にしても、ダイクマ君が一生懸命にチラシを配っていたのに、私は一度も見ていなかったことに気づきました。今年の夏は泪橋ホールで『阿賀に生きる』を見てこようと思っています。

 

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