パルプフィクションと“津波でんでこ” ブッチは忘れ物の時計を取りにアパートへ戻った

レビュー
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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 pulpfiction

 YOUTUBEにて「サミュエル・L・ジャクソンの至高の「マザーファッカー」シーン集」を見ていたら、90年代の下品な名作「パルプフィクション」を無性に見直したくなった。

 

一刻も早く逃げなくてはならない時、決して忘れ物を取りに家に戻ってはいけない

 「パルプフィクション」は、いくつかのお話が、同時並行で進む。どれもが見所がたくさん。そのなかで落ち目のボクサーであるブッチの「THE GOLD WATCH」という話が、妙に心にひっかかった。どのような話なのかというと、Wikipedia先生は、次のように説明してくれる。

 THE GOLD WATCH (金時計)

 落ち目のボクサーであるブッチはマフィアのボス、マーセルスから八百長試合を頼まれていたが、これを裏切り勝利。弟と共謀してノミで大きな利益を得る。試合後、マーセルスの報復を怖れたブッチは逃走、恋人のファビアンと街を出ようとするが、そんなときになって父親の形見の金時計をファビアンがアパートに忘れてきたことに気づく。

引用 /Wikipedia:パルプフィクション

3.11後、パルプフィクションの見え方

「戻らないこと」は、「捨て去ること」

 3.11後、パルプフィクションの見え方や感じ方が少々変わったように感じた。「THE GOLD WATCH」を見た違和感は、私が東日本大震災で、故郷が津波に飲み込まれる光景を見知っているからなのかもしれない。決して、津波が襲来する時に、家に忘れ物を取りに戻ってはいけない。これを“津波でんでこ”という。

 津波てんでんこ

 「命てんでんこ」を防災教訓として解釈すると、それぞれ「津波が来たら、取る物も取り敢えず、肉親にも構わずに、各自てんでんばらばらに一人で高台へと逃げろ」「自分の命は自分で守れ」になるという。
「自分自身は助かり他人を助けられなかったとしてもそれを非難しない」という不文律でもあると言い、災害後のサバイバーズ・ギルト対策や人間関係修復の意味を言外に含むとされる。

引用 /Wikipedia:津波でんでこ

 逃亡中に大切な恋人を残し、殺し屋が入り込んでいる自宅へ、わざわざ忘れ物を取りに戻るブッチ。守らなくてならない財産とは、恋人ファビアンと自らの命ではないのか?だから、非常にイライラした。忘れ物が大切な家宝や形見でも、けっして災いの渦中へは戻っていけないと思う。「戻らないこと」は、「捨て去ること」でもあるでしょう。たとえば津波の襲来前、忘れ物に気づき、その囚われを瞬時に捨てることは難しい。ギャングがたむろする自宅へ戻ると、やはりそこでは災難に遭遇する。東日本大震災では多くの人々が、海岸近くの家から逃げず、津波に襲われたこととを思い出した。

気持ち良くサヨナラをする練習

 囚われを捨てる練習は、日々の生活のなかで、意識して行うべきなのでしょう。大切な宝物とも、必ず別れはやってくる。別れは、然るべきステージへの移動でもあるでしょう。その結果は、悲劇ではなく「ささやかな成功」。ドラマチックな悲劇でも喜劇でもない「ささやかな成功」は、なるほど映画になりませんが、マスターするべき人生なのかもしれません。

 

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