
タバコの灰は下に落ち、煙は上に昇る(コラージュ:モクソン ホウ)
タバコが苦手だ。喘息持ちの私は他人のタバコの煙が原因で、入院したこともある。
マンションやアパートのような集合住宅に住んでいると、下の部屋の住人がベランダで吸うタバコにほとほと困る。灰は下に落ち、煙は上に昇る。上の階に住む私は倒れてしまいそう。部屋にタバコの臭いが充満し、不快このうえない。ベランダから身を乗り出しても、見えるのは白いタバコの煙だけで、住人の顔は分からない。煙の主がだれか分からないので、「トーマスさん」とあだ名をつけることにした。
トーマスさんの煙は、きつい。かくまで煙が臭く感じられたことはあっただろうか。タバコの値段は上がり、ヘビースモーカーのトーマスさんはやむなく格下のタバコに手を出したのだろうと想像した。
我が家に喫煙者はいない。この副流煙をめぐり、家族会議で知恵を絞った。アロマテラピーで、臭いを打ち消そうとチャレンジした。しかし、トーマスさんの悪臭を前にして焼け石に水だった。
夏場は窓を閉めるわけにいかない。窓を閉めてエアコンを動かしたとしても、室外機が煙を吸い込んでしまう。結果、室内にタバコの煙がはき出される始末だ。
2ヶ月我慢して、とうとう私の堪忍袋は切れてしまった。「たばこ臭い!」と窓の外に向かって叫んだ。効果はなかった。苦情なのか、単なる叫び声なのか、我ながらはっきりしない。だけど、この日以来、私は粘り強く外に向かって叫ぶようになった。ノウハウも積み上げていった。

筆者は中年男子です。
叫びよりも、ウィスパーボイスの方がお願いは通りやすいものである。
私はやや大きめの声で、優しくささやいた。両手を口のわきにあててメガホンを作り、煙の出どころに向かって「ちょっと、煙が入ってきますよ」と。お互いに顔が見えないわけだが、この匿名性は同じ集合住宅に住む上で大切である。逃げ道を残しつつ、明らかに苦情と分かる簡潔なメッセージを伝えるのがポイントだ。
近隣住民に向かって大声で叫ぶのは、リスキーでもあるし、なにかと勇気もいる。妻が行うにはハードルが高い。妻にプレゼントを思いついた。「ちょっと、煙が入ってきますよ」と録音した私の声である。iPhoneから階下にスピーカーを向けて、流せば良いのである。すると、ちょっと凝りたくなっちゃったりして、ボイスチェンジャーを使って「ドスの効いた声」とか、「天使のささやき」といったバージョンも作りたくなってきた。
苦情もさじ加減が必要だ。今度は我が家が騒音の苦情がきかねない。なるべく「天使のささやき」バージョンを使うことにしよう。
