mixiの復興

技術
木村 邦彦

法政大学文学部哲学科卒。記者、編集者。歴史、IT、金融、教育、スポーツなどのメディア運営に携わる。FP2級、宅建士。趣味はエアギターと絵画制作。コーヒー、競輪もこよなく愛す。執筆のご依頼募集中。

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 ミクシィは10月1日、2014年3月期通期の連結業績予想を下方修正し、営業損益が16億円の赤字に転落する見通しだと発表した(前回予想は10億~20億円の黒字、前期実績は25億7400万円の黒字)。
出典:itmedia

 2004年3月3日、mixiは会員同士の日記記事を閲覧するSNSとして、公式に始まった。コミュニティと呼ばれる特徴的なサービスがある。会員同士で共有される空間が学校の教室だとすれば、コミュニティとは部活やサークルのようだった。
コミュニティでは、同業者や異業者の交流が行われ、貴重な情報を得ることができたことを覚えている。
これらの仮想世界は、データーベースとして有益だった。貴重なデーターベースが衰退したことは残念だ。
mixiの看板サービスは、時期によって推移した。ゲームをしたくて、mixiをしている会員ばかりではなかったはずだが、一時期はゲームが盛り上がり日記を書く人は稀となっていった。
GREEが流行すれば、GREEのようになり。Twitterが流行れば、Twitterのようになり。Facebookが流行れば、Facebookのようになっていった。mixiは必ずしも変わる必要がなかったと思う。mixiとはいったいどんなサービスなのか、ユーザーもつかみかねてゆく。人が離れてゆえば、データーベースとしてのmixiの活用頻度は薄れていった。
過剰な整形手術で、本来の顔が失われてしまったようだった。mixiはいったいどこへ向かうのだろう。どこへ向かうにしろ、戻るにしろ、非常に難しい。mixiにビジョンを感じることは難しく、過去のmixiにすらビジョンがあったかは不明だ。
昨年の今頃、mixiではユーザーファーストを掲げる報道がされていた。ユーザーたちを社内に招き彼彼女らの意見を積極的に聞いていたような記憶がある。道にまよったバスの運転手が、乗客に行き先を聞いているように感じられれた。
しかしながら、いまのmixiに漂う哀愁は、むしろ魅力に感じさせるものがある。衰退しつつあることは確かではあるが、どこかしら立ち直ってほしい気持ちが生じさせる不思議さがある。
2011年頃までは、人と人を結びつける大きな役割を担っていた。mixiで結婚した人もいただろうし、ビジネスパートナーを見つけた人もいただろうし、親友を見つけた人もいただろう。愛憎に満ちた故郷は、災害で消えてしまったり、過疎で無くなったりすることもある。mixiも衰退し、復興しようとしている故郷の一つなのかもしれない。

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